娘に診断名が告げられた日の帰り道。私は信号が変わるのを見ていた記憶だけが残っています。
あの日から、頭の中で同じ問いがずっと回っていました。この子は、この先どうなるのか。私たち家族の生活は、どうなってしまうのか。
もしかしたら、診断の日よりも今のほうが重い、という方もいらっしゃるかもしれません。何年も走り続けて、体力のほうが先に尽きてきた。そういう時期のほうが、実は苦しいこともあります。
情報を集めていないわけではないと思います。むしろ、集めているからこそ苦しい。「終わりではない」という言葉はいくつも読んだはずなのに、読み終えると、なぜか前より重くなっている。
このブログ記事では、その言葉が届かない理由を先に整理します。そのうえで、支援の現場を見てきて分かったことと、わが家が何をやめたのかをお伝えします。
私は、重度知的障害を伴う自閉症の長女を育てる父親です。医療や療育の専門職ではありません。知的障がい支援士・子ども発達障がい支援アドバイザーの資格を持ち、教育業界で約10年仕事をしてきた、いち親としての記録として書いていきます。
目次
知的障害があっても、人生は終わりません【まず、そこだけ先に】

答えを先に書きます。
知的障害があるからといって、その子の人生が終わるわけではありません。これは気休めではなく、公的な資料にも書かれていることです。
厚生労働省のe-ヘルスネットには、知的障害の多くは基礎にある障害そのものを改善させることが難しい一方で、環境が整えば適応機能などが向上する可能性は十分あり、早期に発見されて適切な療育が行われた場合には長期的な見通しが改善するとされる、という趣旨の記述があります。
*出典:厚生労働省 e-ヘルスネット「知的障害(精神遅滞)」
診断名がついた時点で、その先が全部決まってしまうわけではない。
私自身、診断が出た日に医師から「今後の親や周囲の関わり方で、改善も悪化もする状態です」と説明を受けました。当時は突き放されたように聞こえましたが、今は違う受け取り方をしています。
ここまでは、同じテーマの記事の多くが書いていることです。
ただ、正直に書きます。
私は、この言葉で楽になれませんでした。
「終わりじゃない」と何度読んでも、家に帰れば娘は泣き叫んでいて、私は明日も同じ朝を迎える。理屈では分かっても、体がついてこない。そういう時期が、何年か続きました。
なぜその言葉が届かなかったのか。
理由は、たぶん次のところにあります。
「終わった」と感じているのは、子どもの人生ではないかもしれません

診断が出たとき、実際に終わったものは何だったのか。
わが家の場合、それは娘の人生ではありませんでした。終わったのは、私たちが勝手に思い描いていた予定のほうです。
来年はこれができるようになって、小学校に上がって、いつか手が離れて。そういう、なんとなく信じていた順番が消えた。
そしてもうひとつ。ここが、あまり書かれていないところだと思います。
診断のあと、実際に削られていくのは子どもの将来ではなく、親の生活のほうでした。
- 睡眠:夜中に起きる、朝4時に目覚める。まとまって眠れない日が続く
- 一人の時間:目を離せないので、家の中でも常に気配を追っている
- 仕事:通院、面談、体調不良の呼び出しで予定が崩れる
- 人との関わり:誘いを断り続けて、そのうち誘われなくなる
- 先の見通し:3か月後の予定さえ、立てにくくなる
これが何年も積み重なると、人はどうなるか。
「この子の将来が心配だ」という言い方は、誰にでもできます。周りも受け止めてくれる。
でも、「自分の人生が終わった気がする」とは、なかなか言えません。口にした瞬間に、親として失格だと判断されそうだからです。
だから、その気持ちは行き場をなくして、心の中に溜まっていきます。
そして、子どもの将来への不安と混ざったまま、ひとつの大きな塊になる。
その塊に向かって「お子さんの人生は終わりではありませんよ」と言われても、半分しか当たっていない。楽にならないのは、当然かもしれません。
私が遠回りをしたのは、この2つを分けられなかったからです。
分けてみると、手をつけられる場所が見えてきます。子どもの将来は、今日すぐには変えられない。でも、親の生活のほうは、今日から減らせるものがあります。
念のため、はっきり書いておきます。
そう感じてしまうのは、あなたが弱いからでも、愛情が足りないからでもありません。
睡眠を削られて、予定を崩され続けて、それでも平気でいられる人のほうが少ないと思います。
私が「もう無理だ」と思っていた時期のこと【わが家の場合】

ここからは、わが家の話です。
療育に通えば変わると思っていた
娘は1歳4か月のときに自治体の相談機関へ電話し、2歳から療育を利用し始めました。2歳10か月からは集団療育に週1回、3歳6か月からは民間療育にも通いました。
通い始めたとき、私は正直に言えば安心していました。専門家に見てもらえるのだから、家の困りごとも自然に減っていくだろう、と。
減りませんでした。
体を動かす活動から座って聞く活動に切り替わるたび、娘は泣き叫びました。外では手を離せば走り出すので、出かけるたびに神経をすり減らしていました。
それで私は、本を読み始めました。療育の本、発達の本、家庭でできる関わり方の本。
読めば読むほど、家の中が課題だらけになりました。
あれもやったほうがいい、これもやらないと手遅れになる。そう思って、朝から寝るまでの時間を、全部なにかの訓練に変えていきました。
気づいたときには、私は父親ではなく療育者になっていました。
娘と一緒にただ笑っている時間が、家からほとんど消えていたんです。
声をかけるほど、娘は崩れていった
癇癪が起きるたび、私は必死で声をかけていました。
「大丈夫だよ」 「落ち着いて」
でも、声をかけるほど泣き声が大きくなる。
褒めるときも同じでした。「すごいね」と言うと、娘の表情が固まって、視線が外れて、課題から離れていってしまう。
当時の私には、意味が分かりませんでした。
今なら、少し分かります。娘にとって、私の声はそのとき支援ではなく、追加の刺激になっていました。良かれと思ってやっていたことが、火に近づける行為になっていた。
親の努力の量と、子どもに届く量は、比例していませんでした。
自分を最低の親だと思った夜
一番書きにくいところを書きます。
娘の癇癪が続いた時期、私は自分を抑えきれなくなった夜がありました。
そのあとに来たのは、深い自己嫌悪でした。自分は親として最低だ、この子にふさわしくない、と本気で思いました。
この話を、覚悟の足りない親の失敗談として書くつもりはありません。
そこまで追い詰められる家庭がある、というだけの話です。
そして、そこから学んだことが1つあります。
親が自分を責め続けても、状況は1ミリも動きませんでした。動いたのは、やり方を変えたときだけでした。
親が壊れないことも、子どもへの支援の一部です。
これは精神論ではなく、順番の話だと思っています。倒れた親は、明日の支援を続けられません。
もし今、これを読みながら「まさに今の自分だ」と感じられたなら。この先を読み進めるより、まず誰かに話すほうが早いかもしれません。相談できる場所は、この記事の後半にまとめてあります。
程度の区分は、この先の予告ではありません【知的障害の基礎知識】

ここは、体験談ではなく一般的な情報として整理します。
知的障害は、知的発達の障害です。医学の領域では精神遅滞とも呼ばれ、最新の診断基準では知的能力障害(知的発達症)とも表記されます。
判断されるのは、次の3つがそろっているかどうかです。
- 知能検査で確かめられる知的機能の遅れがあること
- 日常生活を送るうえでの適応機能に明らかな困難があること
- それが発達期(おおむね18歳まで)に生じていること
知能指数(IQ)はひとつの目安で、70未満が低下と判断されます。ただし、数値だけで知的障害の有無を決めるべきではなく、適応機能を総合的に評価して判断するとされています。有病率は一般人口の約1%です。
適応機能というのは、日常生活で求められることにどれだけ対処できているか、どれだけ自立しているかを表すものです。食事の準備、対人関係、お金の管理なども含まれます。重症度によって、軽度、中等度、重度、最重度に分類されます。
*出典:厚生労働省 e-ヘルスネット「知的障害(精神遅滞)」
なお、療育手帳の判定基準や区分の表記は、自治体によって異なります。手帳の名称も、地域によって「愛の手帳」「みどりの手帳」などと変わります。お住まいの窓口でご確認ください。
ここで、誤解を1つほどきたいと思います。
この区分は、この先の予告ではありません。
今どれくらいの支援が必要か、を表しているだけです。必要な支援の量は、環境と本人の力の育ち方で変わっていきます。娘は重度と判定されていますが、判定が出た日と今とでは、できることの範囲がかなり違います。
もうひとつ、押さえておきたいことがあります。
先ほどの資料には、支援が必要なのは本人だけではなく、家族への支援も欠かせない、という趣旨の記述があります。
親が休むことや、誰かに頼ることは、甘えではありません。公的な文書にも、そう書かれているわけです。
なお、進路や就労、住まい、親が亡くなった後のお金については、この記事では扱いません。制度の話は情報量が多く、気持ちが疲れているときに読むものではないと考えているからです。
落ち着いて調べたくなったときに、以下の記事を開いてみてください。
支援する側の人たちは、この子たちをどう見ているか

親の立場とは別に、私にはもうひとつの経験があります。
娘の支援先を探す過程で、10か所以上の児童発達支援事業所を見学しました。また、前職では児童発達支援事業の立ち上げに、企画段階から関わったこともあります。
だから、パンフレットに書けることと、現場で実際に起きていることの間に距離があるのを知っています。見学というのは、その距離を測る作業でもありました。
そのうえで、はっきり書けることがあります。
現場で会った支援者の中に、この子たちの人生が終わっていると考えている人は、一人もいませんでした。
きれいごとを言いたいのではありません。
彼らが見ているのは、診断名でも検査の数値でもなく、目の前の一人がどうすれば今日を機嫌よく過ごせるか、でした。この子は何が苦手で、どこまでならできて、どういう順番なら受け取れるのか。その話ばかりしていました。
以前、就労支援の実践者の方から、支援者としてのあり方を聞く機会がありました。
その方は、こうおっしゃっていました。
「彼らが人生を終えるときに自分の人生をどう振り返るのか、そこに思いを馳せて関わる」
長い時間軸の話です。
聞いた当時、私は正直、ここまで先を見て関わってくれる人がいるのかと驚きました。目の前の課題を1つ減らすことで頭がいっぱいだったからです。
でも、この視点を借りると、今日の見え方が変わります。
娘が80歳になったとき、彼女の人生が何だったのかを決めるのは、発達指数でも手帳の等級でもない。どれだけ穏やかな日が積み重なったか、どれだけ好きなものに囲まれていたか、そのほうがずっと大きいはずです。
そう考えると、今日という1日は、終わりへ向かう1日ではなくなります。
親が一人で「この子の人生を背負っている」と思い込んでいる間は、この視点は持てませんでした。私も長いことそうでした。
背負っているのは、あなただけではありません。
抜け出す方向は、足すことではありませんでした

わが家の空気が変わり始めたのは、何かを新しく始めたときではありません。
やめたときです。
私がやっていたのは、うまくいかないと感じるたびに何かを足すことでした。教材を足す。声かけを足す。課題を足す。目標を足す。
そのどれもが、娘にとっては処理しきれない量になっていました。そして親にとっては、こなしきれない量になっていました。
減らしたのは、次のようなものです。
- 声かけの量。危険がないときは、距離を取って見守る
- 同時に追いかける目標の数。1つに絞る
- 1日の中の課題数。できたところで終わりにする
- 家のすべてを療育にしようとすること
目標を1つに絞ったとき、私は自分の呼吸が戻ってくるのを感じました。
「今日は食卓に座れたら十分」
そう決めた日から、娘を見る目が変わりました。できていないことを数える時間が減って、できたことに気づく時間が増えたからです。
不思議なもので、娘のほうも落ち着きやすくなりました。
娘が急に変わったのではありません。わが家が、要求する量を変えた結果です。
今日からできることを挙げるなら、この3つになります。
- やめることを1つ決める:新しく始める前に、うまくいっていない声かけや予定を1つ手放す
- 目標を1つに絞る:3つ追いかけている状態は、たいてい1つも進みません
- 比べる相手を変える:他の子ではなく、3か月前のわが子と比べる
もちろん、これで全部がうまくいくわけではありません。わが家も、うまくいかない日のほうがまだ多いです。
ただ、方向は変わりました。
療育に通っているのに変化を感じにくい、という状態については、以下の記事に詳しく書いています。「通っているのに何かが足りない」と感じている場合は、こちらのほうが先かもしれません。
親が倒れないために、使えるもの【一人で抱えないための手段】

制度の話を、ここで少しだけします。
短期入所(ショートステイ)という、施設に短期間泊まれるサービスがあります。介護している家族の疾病その他の理由で必要になったときに利用でき、入浴、排泄、食事の介助などの支援を受けられます。
*出典:厚生労働省「障害福祉サービスについて」
このほか、市区町村が独自に行う日中一時支援などもあります。制度の内容や対象は改定されますし、使えるサービスの量は地域によってかなり差があります。実際に利用する際は、相談支援専門員やお住まいの自治体の障害福祉窓口でご確認ください。
窓口に行く前に、1つだけ知っておいてほしいことがあります。
これらは、限界まで我慢した人だけが使えるものではありません。
私も最初は「まだそこまでじゃない」と思って、相談を先延ばしにしていました。でも、相談してから実際の利用にたどり着くまでには、それなりに時間がかかります。倒れてから動き始めると、その待ち時間を持ちこたえられません。
人に頼る先の話も書いておきます。
同じ立場の親とつながる場は、思っていたより効きました。親の会、ペアレントメンターの制度、地域の集まり。制度の情報が手に入るのも大きいのですが、それ以上に、説明しなくても分かってもらえる相手がいるという事実が支えになります。
わが家の場合は、夫婦の役割分担も見直しました。
妻は体調の変化やこまごました連絡を見る役、私は休日に娘と長い距離を歩く役。どちらかが全部を背負う形だと、背負っているほうが先に潰れます。分けたことで、ようやく続けられるようになりました。
妹たちのことも、意識して時間を作っています。長女が放デイなどで不在の時間は、二女と三女が親を独り占めできる時間にする。短くても、その子だけを見ている時間が要ると考えているからです。
そのうえで、書いておきたいことがあります。
気持ちが限界に近いと感じるときは、療育のことは一度脇に置いてください。
そういうときに使える相談先が、公的にも用意されています。厚生労働省が「まもろうよ こころ」というサイトで、電話やSNSで相談できる窓口をまとめています。年代や状況に応じて選べるようになっていて、匿名で利用できるものもあります。
*出典:厚生労働省「まもろうよ こころ」
かかりつけ医や、自治体の保健センターに相談するのも選択肢のひとつです。親のほうが先に治療を必要としている、という状態は、決して珍しいことではありません。
診断から約6年で、変わったこと、変わらなかったこと

数字ではなく、生活の場面で書きます。
娘は3歳1か月で「知的障害を伴う自閉症」と診断されました。今は小学校3年生です。
診断が出たころ、娘は1秒も椅子に座っていられませんでした。名前を呼んでも振り向かず、指さしもなく、意味のある言葉もありませんでした。
今はどうか。
机に向かって10分以上取り組める場面が出てきました。名前を呼ぶと反応して、挨拶ができる日もあります。絵カードを使って、水やご飯やトイレといった簡単な要求を伝えられるようになりました。ひらがなで自分の名前を書けるようになったのは、小学2年生のときです。
食事のほうも変わりました。名前を聞いただけで泣いていたヤクルトを、今はボトルから飲めます。生野菜も、トマトやレタスなら食べられるようになりました。
スーパーのレジで、落ち着いて並べるようにもなりました。
魔法ではありません。地道なスモールステップの積み重ねです。パズルは型はめから始めて、32ピース、65ピース、117ピースと段階を刻んで、最終的に234ピースまで進みました。名前を書くまでには、線つなぎ、数字のなぞり、ひらがなのなぞりという道のりがありました。
そして、変わらなかったこともあります。
意味のある言葉(明確な発語)は、今もありません。手持ち無沙汰になったときの自己刺激行動も、まだ続いています。
道も一直線ではありませんでした。
小学2年生の6月から7月にかけて、それまで落ち着いていた行動が一気に崩れた時期があります。家の空気が張り詰めて、私も妻もかなり参っていました。
そのとき私たちがやったのは、課題を増やすことではなく、体を動かす機会を増やすことでした。9月以降、目に見えて落ち着いていきました。12月には、大きな課題だった行動がほとんど見られなくなりました。
荒れる時期があっても、そこで終わりではなかったんです。
「障害があるから不幸だ」と思うことは、すごく少なくなりました。
最初からこう思えたわけではありません。「なぜうちの子が」と考えた時期は長くありましたし、今でも気持ちが揺れる日はあります。ただ、昨日できなかったことが今日少しできた瞬間の感覚は、今まで何度も味わってきました。
知的障害と「人生終了」についてよくある質問

Q
「終わった」と思ってしまう自分は、親失格でしょうか?
A
そうは思いません。
その気持ちは、子どもへの愛情の量とは別のところから来ています。眠れていない、予定が崩れ続けている、先が見えない。この3つがそろえば、気持ちが沈むほうが自然です。
大事なのは、その気持ちを消そうとしないことだと思っています。消そうとするほど、隠すことにエネルギーを使ってしまいます。
Q
軽度と言われましたが、この先が不安です。
A
軽度と言われたご家庭のほうが、周囲から理解されにくいという話はよく聞きます。見た目では分かりにくいぶん、本人が努力不足だと誤解されやすいからです。
程度の区分は、必要な支援の量を表すもので、困りごとの大きさをそのまま表すものではありません。軽度だから支援がいらない、ということにはならないと思います。
もし本人がこのページを読んでいて、生きているのがつらいと感じているなら、一人で抱えないでください。先ほど紹介した相談窓口は、年齢を問わず使えるものがあります。
Q
知的障害は、軽くなることがありますか?
A
発達の検査の数値は、年齢とともに変動することがあります。ただ、その見立ては医師や心理の専門職が行うもので、私が判断できることではありません。
数値の変化に一喜一憂するより、生活の中でできることが1つ増えたかどうかを見るほうが、日々の支えになると感じています。診断や見通しについては、主治医や相談機関にご相談ください。
Q
下の子に手をかけられていないのが苦しいです。
A
わが家にも下に2人の妹がいます。同じことを、今も感じています。
私たちがやっているのは、時間の長さより、その子だけを見る時間を作ることです。長女が不在の時間は、妹たちが親を独り占めできる時間にする。「お姉ちゃんばかり」と感じるのは自然な気持ちなので、そこを否定しないようにしています。
きょうだいへの説明や、将来の負担については、家庭ごとに考え方が分かれるところだと思います。少なくとも、後見や資産の設計をきょうだい任せにしないことが、親の側にできる備えのひとつだと考えています。
Q
進路や就労、親が亡くなった後のお金はどうなりますか?
A
この記事では扱っていません。進路の統計、18歳以降の働き方、住まい、親亡き後の備えについては、以下の記事にまとめています。
受けられる手当や補助金の全体像は、以下の記事が入口になります。
終わったのではなく、予定が変わっただけでした
知的障害があっても、その子の人生が終わるわけではありません。環境が整えば適応機能が伸びる可能性があることは、公的な資料にも示されています。
ここまでは、多くの記事が書いていることです。
そのうえで、娘と長年過ごしてきて思うのは、その言葉だけでは足りないということです。
診断のあと苦しくなるのは、子どもの将来が閉じたからではなく、親の生活のほうが一気に狭くなるからでした。眠れない。予定が立たない。人と会えない。そこに「終わりじゃない」と言われても、届く場所がない。
だから私は、順番を逆にしました。
子どもを変えようとする前に、家の中の量を減らす。声かけ、課題、目標、予定。減らして余白ができてから、ようやく娘の変化が見えるようになりました。
もし、こう思われているとしたら。
「今は何も考えられない。落ち着いてから始めよう」
その気持ちは分かります。私もそうでした。ただ、待っていて落ち着いた日は、わが家には来ませんでした。落ち着いたのは、量を減らしてからです。
そして、これは頑張りを増やす話ではありません。今日の声かけを1つ減らす。目標を1つに絞る。それだけでも、明日の空気は変わります。
「うちの子は重いから、やっても変わらない」と思われる場合もあるかもしれません。
娘の発達指数は、7歳の時点で30でした。全部が変わったわけではありませんし、変わらなかったこともたくさんあります。それでも、家庭でできることはありました。
私が数年かけて遠回りしながらたどり着いた、何を観察して、何をやめて、何から試すのかという手順を1本にまとめたのが、以下のnoteです。
最後に、ひとつだけ。
今日一日を振り返って、あなた自身がいちばん息をつけたのは、何時ごろでしたか。
思い出せないとしたら、まず減らすのは、お子さんの課題ではないのかもしれません。
※本記事の制度・医学に関する記載は、執筆時点の公開情報にもとづいています。制度は改定されるため、実際の手続きの際は各公式サイトおよびお住まいの自治体窓口でご確認ください。


